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講師プロフィール

音楽とともに心豊かな時間を育めるよう、丁寧な指導を心がけています。

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あらかわ まり
荒川 麻理

【資格】​

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ピアノ歴55年。ピアノ指導歴25年。今までに延べ500人以指導。

ヤマハ音楽教室システム講師として5年間勤める。桐朋学園大学短期大学部芸術科音楽専攻卒。ニューヨークにて親子のための音楽教室を主宰。NPO法人保育サービスひまわりママとして乳幼児の保育に携わる。

ヤマハピアノ演奏グレード5級、エレクトーングレード5級、指導グレード5級。リトミックをリトミック研究センターで学ぶ。

ひまわりママでご一緒した子育て広場の副園長さんに紹介して頂き、子育て広場みずきっこで音楽イベント講師を開始。

 

リピーターとして参加されている親子も多く、成長を見られることが励みになっている。武蔵野市内の子育て広場で『ピアノの会』と呼ばれるミニコンサートでピアノ演奏会90回以上出演。保護者の方からは、楽しく童謡を歌ったり、生のピアノ演奏が聴けるので楽しみにしているというお声を伺っている。

吉祥寺オペラファンタジーピアニストとしてコンサートに10回以上出演。乳幼児から本格的なコンサートに参加できた、生の音楽に直接触れる経験が出来て親子で楽しめた、等の感想を頂く。

生徒さんの保護者の方からは、「子どもに慣れていて安心して任せられる」、「レッスンがとても楽しい」、「自己肯定感や非認知能力を大切に育てたいと思っている方にお勧めしたい」などと、指導について好評を得ている。

 

ピアノ演奏を中心に音楽全般を楽しめるレッスンを心掛けています。ピアノが上手になることはもちろん大切ですが、集中力を養い、努力を積み重ねること、そして継続することの大切さを学んでほしいと思っています。音楽は一生のパートナーのような存在になると信じています。

長いプロフィール

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~幼少期~

物心ついた頃、我が家には一台の電気オルガンがありました。エレクトーンのような立派なものではなく、足踏み式でもない、スイッチを入れると音が鳴るオルガンです。三歳か四歳くらいだったでしょうか。私は色音符の楽譜を広げては、遊びのような感覚で鍵盤を触っていました。わからないところがあると、隣の部屋で家事をしている母に向かって、 「ここはどうやって弾くの?」と大きな声で尋ねます。すると母は家事の手を休め、いつもにこにこしながら教えてくれました。幼稚園の教諭だった母には、バイエル程度のピアノ経験がありました。今思えば、母が私にとって最初のピアノの先生だったのでしょう。

五歳になると個人レッスンに通い始めました。 最初の先生はとても優しい方でした。先生のお宅ではリスを飼っていて、回し車の中をくるくる走る姿を見るのが楽しみでした。母は、幼い私が本当にレッスンの内容を理解しているのか気になり、先生に尋ねたそうです。すると先生は、「わかっていると思いますよ」と、なんともおおらかな返事をされたとか。のんびり屋だった私には、そんな穏やかなレッスンが合っていたのかもしれません。

ところが、一年ほどで先生が変わりました。理由は覚えていません。そして二人目の先生は、それまでとは正反対の厳しい先生でした。読譜が苦手だった私は、オクターブ違う音を弾いてしまい、「こっちって言っているでしょう!」と叱られたことを今でも覚えています。それでも、曲が終わるたびに貼ってもらえるシールだけは楽しみでした。 

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~小中学生時代(前期)~

小学一年生のとき、我が家にようやく本物のピアノがやってきました。カワイのアップライトピアノです。私のピアノの習い事も本格的になってきたと思ったのか、あるいは先生から勧められたのかはわかりませんが、父が買ってくれました。時代は1970年代。日本は高度経済成長期の真っただ中でした。冷蔵庫や洗濯機といった白物家電に加え、カラーテレビや自動車が次々と家庭に普及していった時代です。子どもの習い事としてピアノも人気があり、一家に一台ピアノがある家庭も珍しくありませんでした。もっとも、決して安い買い物ではありません。当時は消費税こそありませんでしたが、物品税がありました。その頃の私は、そのピアノが音楽大学受験までの長い年月を共にする相棒になるとは思ってもいませんでした。

ずっと後になって父が亡くなり、遺品を整理していたときのことです。ピアノを購入した際の領収書が出てきました。金額は21万5000円。そこには、「月賦 24回払い」「ピアノの主な利用者 長女 6歳」と書かれていました。その文字を見た瞬間、胸が熱くなりました。一般的なサラリーマン家庭だった我が家にとって、決して小さな出費ではなかったはずです。それでも父と母は、私のためにピアノを買ってくれた。子どもの頃には見えなかった親の思いが、その一枚の紙から伝わってきました。私は改めて、両親に感謝しました。

小学生になると、私は耳で聞いた曲をそのまま弾く、いわゆる「耳コピ」が大好きになりました。一年生のときには学校の校歌を楽譜なしで弾き、クラスの前で披露したことがあります。原調のニ長調で弾いたため黒鍵も使いました。担任の先生は驚き、とても褒めてくださり、そのことを連絡帳で母にも伝えてくれました。

三年生の音楽の授業では、さらに忘れられない出来事がありました。学級が落ち着かず、音楽の先生が困り果てて、「誰かピアノが弾ける子、代わりに弾いて」と言い残し、隣の音楽準備室に入ってしまったのです。私は普段から授業で習った歌を家で耳コピして遊んでいました。そこで先生の代わりに次々と伴奏を弾きました。友達も意外にもよく歌ってくれました。授業の終わりに先生が戻ってきて、「ありがとう。でも、どうしてそんなに弾けるの?」と不思議そうに聞いたことを覚えています。私自身にとっては特別なことではありませんでした。好きだからやっていただけ。ただそれだけでした。

小学生時代には二人の先生に習いました。一人は声楽科出身の先生、もう一人はフルート科出身の先生でした。ピアノ専門ではなかったこともあるのでしょうか。レッスンはとてものんびり進みました。練習していなくても怒られた記憶はありません。親からも、「練習しなさい」と言われたことはほとんどなかったと思います。声楽科の先生はレッスンの最後に必ず歌を一緒に歌ってくれました。これは私にとってとても楽しい時間でした。

 

今考えると、ずいぶん自由にやらせてもらっていたものです。それでも学芸会などで伴奏をすると、母は周囲から「麻理ちゃんはピアノがお上手ね」と言われることがありました。すると母は決まって、「好きなんです」と答えていました。私はその言葉を聞くたびに、「ああ、私はピアノが好きなんだ」と思っていました。母の作戦だったのか、本心だったのか。今となっては確かめようもありません。でも、その言葉は確実に私の中に残りました。

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~小中学生時代(後期)〜

高学年になって出会った先生は、ヤマハ音楽教室の講師をされている先生でした。私は本当に先生が何度も変わったのです。けれど、この先生との出会いは大きな転機になりました。

 

それまでの私は、楽譜を弾くだけでした。ところが先生は、音楽理論、伴奏付け、即興演奏、移調など、それまで経験したことのない世界をたくさん見せてくれました。音楽にはこんな楽しみ方もあるのだと知りました。

 

発表会では、自分で作曲した曲を演奏したこともあります。もっとも、そのときは作曲の苦しさばかり感じていました。何とか完成させても、自分ではあまり良い曲だとは思えません。そんな曲を弾くくらいなら、憧れのショパンを弾きたい。本気でそう思っていました。それでも今振り返れば、とても貴重な経験だったと思います。

私は以前から漠然とピアノの先生になりたいと思っていました。けれど、この先生に習うようになってからは、「ヤマハの先生になりたい」と考えるようになりました。個人で教室を開く自信はありませんでした。教え方もわかりません。一度社会に出て経験を積むことが、自分には必要だと思っていたのです。

やがて音楽大学受験を真剣に考えるようになりました。そのことを先生に伝えたとき、先生はまず、「その覚悟があるの?」と問いかけました。そして続けてこう言いました。

 

「エチュードなんて、先生に初めて見てもらうときには暗譜できている状態じゃなくちゃだめなのよ。今のあなたにできるかしら」その頃の私は、相変わらず練習をあまりしない子でした。そんな私が音大に行きたいと言うのです。先生が本気度を試したくなるのも当然でした。

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~高校・短大時代~(前期)

高校は都立の普通高校に進みました。合唱部に入って歌うことと、ピアニストとして伴奏を受け持っていました。楽譜にないポピュラーの曲を混声四部合唱にアレンジを担当したりもしました。さて、どこの音楽大学を受験するか考えたとき、私が何となく憧れを抱いていたのは、桐朋学園大学でした。

 

桐朋学園大学といえば、国際的に権威のあるショパン国際ピアノコンクールで入賞した中村紘子さんや、世界的指揮者の小澤征爾さんなど、多くの著名な音楽家を輩出してきた名門音楽大学です。その思いを先生に話したところ、「四年制は無理よ」と、ばっさり言われました。そして、「短大があるから、そちらの方がいいんじゃない?」と勧められたのです。

 

当時の私は、その言葉に少なからずショックを受けました。しかし今振り返ってみると、それは私の実力だけを見て言われたのではなく、学費や受験までに必要となるレッスン費用など、家庭の事情まで含めて現実的に考えてくださった上での助言だったのだと思います。

私は桐朋以外の音楽大学の夏期講習にも参加しました。けれど、桐朋で経験した聴音やソルフェージュの世界に強く惹かれました。難しい。でも面白い。そして学校全体の雰囲気にも魅了されました。

私は桐朋短大を受験しようと決意しました。夏期講習の面談では、ピアノの先生だけでなく、声楽、聴音やソルフェージュ、筆記試験対策を教えてくださる先生まで紹介していただきました。そこでようやく、私は本気になりました。本当に遅いスタートだったと思います。練習嫌いだった私が、厳しいレッスンに必死で食らいついていきました。思うように弾けず落ち込むこともありました。それでも諦めませんでした。そして無事合格する事ができました。

2年生の後半になり、進路を決める時期を迎えました。そんな時、ヤマハ音楽教室の講師募集のために広報の方が短大を訪れ、説明会が開かれました。もともとヤマハ音楽教室に興味を持っていた私は、その説明会に参加し、採用試験を受けることを決意しました。短大卒業後に研究科へ進学するという道もありましたが、私はピアノを演奏し続けることよりも、社会に出て早く働きたいという気持ちのほうが強かったのです。

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~社会人時代~

私と同じようにヤマハ講師の採用試験を受けた同期の友人も数人いました。そして卒業後、無事に採用試験に合格した仲間たちとともに、ヤマハ音楽教室での研修が始まりました。

この研修は想像以上に厳しいものでした。合宿形式で宿泊を伴う研修があったり、日帰りでも朝から夕方まで一日かけて学ぶ研修が何度も行われたりと、講師として必要な知識や指導法を徹底的に身につける毎日でした。しかし、その経験は後に講師として子どもたちと向き合ううえで、大きな財産になったと感じています。    

 

研修を終え、配属先は練馬区や板橋区を中心に教室を展開しているサクライ楽器に決まりました。子どもが大好きだった私は、生徒たちがとても愛おしく、レッスンでは「音楽嫌い、ピアノ嫌いにだけは絶対にさせてはいけない」という思いを常に胸に抱いていました。その責任の重さを感じながら、一人ひとりの生徒と向き合う毎日でした。保護者の方への対応に悩むこともありましたし、グループレッスンを円滑に進めていく難しさも経験しました。

 

それでも、楽器店の営業担当の方から「講師の中で一番、退会者が少ないですね」と褒めていただいたことがあります。それは、生徒や保護者の方との信頼関係を大切にしてきたことへの評価だったのではないかと、とても嬉しく思いました。また、エレクトーンを演奏することも大好きだった私は、個人レッスンを受けながら、クラシックだけでなくポップスやロック、ジャズなど幅広いジャンルの音楽を学ぶ機会にも恵まれました。

 

先生からは、「クラシック出身にしてはロックやジャズのノリがいいね」と言っていただき、自分でも新しい音楽の世界が広がっていくのを楽しんでいました。

 

こうして丸5年間、ヤマハ音楽教室の講師として充実した日々を送りましたが、結婚、そして出産を機に退職することになりました。仕事を続けるか辞めるか、本当に悩みました。音楽を教えることは大好きでしたし、生徒たちと離れることにも大きな寂しさがありました。それでも、子どもが病気になった時のことを考えると、講師を続けるのは難しいと感じました。そして何より、子どもの成長を一番近くで見守りたいという思いが強かったのです。

 

初めて歩いた瞬間。初めて言葉を話した瞬間。その一つひとつを見逃したくありませんでした。そして学校から「ただいま」と帰ってきた時には、「お帰りなさい」と家で迎えてあげたい。私自身がそうして育ててもらったように、子どもにも同じような家庭環境をつくってあげたいと思ったのです。

 

今振り返っても、この決断に後悔はありません。あの時しか味わえなかった子どもたちとの時間は、私にとって何ものにも代えがたい宝物となっています。

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~ニューヨーク時代~

二人目の子どもを出産して一年ほど経った頃、夫の海外赴任が決まりました。赴任先はニューヨーク。私たちはマンハッタンで暮らすことになり、子どもたち二人は現地のインターナショナルスクールへ通い始めました。"人種のるつぼ"と言われるニューヨークでは、世界中から集まった人々がそれぞれの文化や価値観を尊重しながら暮らしていました。

 

そのため、外国人である私たちも「マイノリティである」ということを強く意識する場面はあまりありませんでした。慣れない海外生活では戸惑うこともたくさんありましたが、そのたびに友人や学校の先生方、近所の方々など、多くの人が温かく手を差し伸べてくださいました。たくさんの人との出会いに支えられ、家族全員が安心して新しい生活を送ることができたのです。

 

ニューヨークで過ごした4年間は、子どもたちにとっては自然に英語を身につけ、バイリンガルとして成長する貴重な時間となりました。そして私自身にとっても、多くの学びと出会いに恵まれた、人生の宝物のような4年間でした。現地では、夫の同僚の方にピアノを教えたり、日本人親子を対象とした音楽教室を開いたりしました。

 

音楽を通してたくさんの親子と出会い、笑顔あふれる時間を共に過ごせたことは、私にとって忘れられない思い出です。そして4年が過ぎ、日本への帰国が決まりました。皆さんはとても残念がってくださり、お別れの際にいただいた寄せ書きには、涙があふれるほど温かい言葉がたくさん綴られていました。

 

あの時の寄せ書きは、今でも私の大切な宝物です。いつか帰国することは分かっていたものの、大好きだったニューヨークでの生活、そしてかけがえのない友人たちとの別れは、とても寂しいものでした。それでも帰国後は、また新しい生活が日本で始まりました。ニューヨークでの経験や出会いは、その後の私の人生や音楽との向き合い方に、大きな影響を与えてくれたように思います。

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~長い専業主婦の生活のあと~(前期)

帰国後は、会社の社宅で暮らすことになりました。ピアノを弾くこと自体は禁止されてはいませんでしたが、ニューヨークで購入し、日本へ持ち帰ったスタインウェイのアップライトピアノを弾くと、近隣から苦情が寄せられるようになりました。

 

他にもピアノを弾いているご家庭はあったのですが、なぜか我が家だけが何度も苦情を受けました。長女も長男もピアノを習っていたため、まったく弾かないというわけにはいきません。また社宅という環境では、お金をいただいてピアノ教室を開くことなど考えられませんでした。こうして私は、少しずつピアノのある生活から離れていきました。

その代わりに、子育てを楽しみながら、趣味のトールペイントや、プリザーブドフラワーに夢中になりました。毎日、子どもたちが「ただいま」と帰ってくると、「お帰りなさい」と迎える。そんな、以前から願っていた穏やかな日々を過ごすことができました。

 

しかし、子育てにもいつか一区切りが訪れます。子どもたちが成長するにつれ、「このままではいけない」と、のんびり屋の私もようやく重い腰を上げる時が来ました。

 

社宅を出て、ようやく思い切りピアノを弾ける環境になりましたが、長い間ピアノから遠ざかっていたため、すぐにピアノ教室を始めようという気持ちにはなれませんでした。まずはママ友からの紹介で、数人のお子さんにピアノを教えることから始めました。

そんなある日、市報で「子育てサービス ひまわりママ」募集の記事が目に留まりました。ベビーシッターのような仕事だと知り、「これだ!」と思いました。

 

音楽の仕事からはしばらく離れていましたが、子育てだけは一生懸命やってきました。この経験ならきっと誰かの役に立てる。そう思い、応募することを決めたのです。

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~長い専業主婦の生活のあと~(後期)

ベビーシッターとして働く中で、地域の子育て広場へお子さんを連れて行くことがよくありました。ある日、そこで「童謡ボランティア募集」という張り紙が目に留まりました。

 

子育て広場に集まる親子のために、童謡のピアノ伴奏をするボランティアです。人前でピアノを弾くことから長い間遠ざかっていた私にとっては、とても勇気のいることでした。それでも、「もう一度ピアノを弾いてみよう」と思い、自分からスタッフの方に声をかけました。こうして、毎月子育て広場で童謡の伴奏を担当することになりました。

 

親子の歌声に合わせてピアノを弾く時間は、私にとって本当に楽しいひとときでした。そして何より、長い間離れていた音楽とのつながりを、少しずつ取り戻していく大切な時間にもなりました。その後、コロナ禍となり、みんなで声を合わせて歌うことが難しくなりました。するとスタッフの方から、「伴奏ではなく、ソロで何か演奏していただけませんか」と声をかけられました。

 

伴奏以上に緊張する役目でしたが、「せっかくいただいた機会だから挑戦してみよう」と思い、思い切って引き受けることにしました。初めは不安もありましたが、回を重ねるごとに少しずつ自信がつき、演奏する曲のレパートリーも増えていきました。今でもこの活動は、私にとって大切な"修行の場"です。聴いてくださる親子の皆さんに音楽を届けながら、自分自身も学び、成長させていただいています。音楽の楽しさを改めて実感できる、かけがえのない時間となっています。

また、もう一つの子育て広場では、0歳から2歳くらいまでのお子さんと保護者の方を対象にした音楽イベントの講師を担当しています。この活動を始めてから、もう8年になります。毎回多くの親子にご参加いただき、大変ありがたいことに、募集を開始するとすぐに定員が埋まり、キャンセル待ちになるほど好評をいただいています。

 

スタッフの方からは、「申込日の朝は電話が次々に鳴り続けるんですよ」と伺い、私自身もとても励みになっています。こうした活動が続けられているのは、ヤマハ音楽教室で講師をしていた頃の経験があったからだと思います。当時、「3歳児ランド」と呼ばれていたクラスを数多く担当し、小さな子どもたちが音楽を楽しみながら成長していく姿を見守ってきました。その経験が、今の活動の大きな土台になっています。

しかし、経験だけに頼るのではなく、今も学び続けることを大切にしています。よりよい指導ができるよう、リトミック研究センターでリトミック講師資格取得のための講座を受講し始め、現在3年目を迎えました。子どもの発達や音楽教育について新たな学びを得るたびに、多くの気づきがあります。その学びを日々の音楽イベントにも取り入れながら、親子にとって楽しく、心に残る時間になるよう工夫を重ねています。

これまで積み重ねてきた経験と、今も続けている学び。その両方を大切にしながら、これからも音楽を通して子どもたちや保護者の皆さんに笑顔を届けていきたいと思っています。 子どもたちが音楽を心から楽しみ、保護者の皆さんにも笑顔になっていただける時間をつくること。それが今の私の喜びであり、目標でもあります。

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~音楽イベントでの出会い~

イベントにたまたま参加していたあるオペラ歌手の方から誘われ、小さなコンサートを開くことになりました。ある時、藤原歌劇団で活躍されていたオペラ歌手の方の伴奏を務める機会をいただいたのです。                

 

人前で演奏することがもともと得意ではなかった私にとっては、大きな決断でした。このまま自己流のままでは通用しないと感じ、35年ぶりに改めてピアノのレッスンを受けることを決意しました。YouTubeやピアノアレンジでも知られる阿部太一先生のレッスンを受けるようになり、現在も継続して学び続けています。

その後、そのオペラ歌手の方が、親子で参加できる本格的な音楽の団体を立ち上げるにあたり、私を誘ってくださいました。しかし今度は、これまで以上に大きなハードルがありました。お金をいただき、プロとして舞台に立つという責任が伴うからです。

 

「本当に自分にできるのだろうか」と、正直とても悩みました。それでも、「声をかけていただいたということは、自分にもその役割を果たす可能性があるのではないか」と自分を奮い立たせ、思い切って参加を決めました。それが『吉祥寺オペラファンタジー』です。

ソプラノ歌手3名と、私を含めたピアニスト3名による音楽グループで、これまでに武蔵野市内のホールで6回のコンサートを開催し、保育園や子育て広場での公演にも出演してきました。この経験は、私にとって想像もしていなかった新しい世界への扉でした。同時に、音楽に向き合う姿勢そのものを改めて問われる機会でもあり、今もなお学び続けなければならないと強く感じています。

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~これからのこと~

2024年、家の新築に伴い、念願だったレッスン室を設けることができました。ベビーシッターは辞めてピアノの活動に専念することにしました。

 

現在は個人レッスンの生徒も少しずつ増えています。最初の頃は、生徒数を積極的に増やそうとは考えていませんでしたが、生徒と向き合う経験を重ねる中で、生徒数を増やすことは自分自身の指導力を高めることにもつながると感じるようになりました。

 

今では、より多くの生徒さんに音楽の楽しさを伝えられるよう、積極的に募集活動にも取り組んでいます。また、リトミックコースも昨年の秋から開講し、近隣の保護者の方々に大変喜んでいただいています。まだ少人数ではありますが、これからさらに充実させ、広げていきたいと考えています。

ピアノを教える中で私が強く感じているのは、音楽やピアノが上手になることはもちろん大切ですが、それ以上に、音楽を通して集中力を養い、努力を積み重ねること、そして継続することの大切さを学んでほしいということです。そして、たとえ音楽の専門家にならなくても、音楽が好きであること、得意であることは、人生の中で大きな支えになります。時に生きがいとなり、仲間と楽しむ時間を生み、また時には自分自身に寄り添い力を与えてくれる、一生のパートナーのような存在になると信じています。

そのような思いを胸に、これからも一人ひとりの生徒と丁寧に向き合いながら、音楽の魅力を伝えていきたいと思っています。

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